傷つきやすい子供時代~「 本当の自分を取り戻す旅」

こんにちは
メンタルコーチ・心理セラピストの 杏(アンジュ)です。
「どうしてこんなに生きづらさを感じるんだろう?」
「私が変なのかな?」
「集団の中にいても孤独を感じる」
かつての子供時代から、社会、人間関係の中で、こんな悩みを抱えながら生きていました。
そんな私が、心の奥底に積み重なった「私はだめな人間だ」「だれにも理解されない」といった制限的な価値観や信念、いわば
「心の癖」のブレーキを解除して、自分らしく生きる力を取り戻して、望む人生をデザインできるようになった道のりを、このプロフィールにまとめてみました。
☑️人間関係で深く傷つき、自己否定と孤独感に苦しんだり
☑️完璧主義で自分を責めてしまう性質があったり
☑️人のために頑張りすぎて自分を見失ったり・・・
今では、そんな「生きづらさ」を抱える方々のサポートを専門にしています。
このプロフィールが、何かあなたの心に響くヒントになれたら嬉しいです。
「愛されるために良い子でなければ」という呪縛の始まり

3歳の時のことです。
いたずらをして押し入れに閉じ込められた真っ暗な空間で、外から聞こえてくる家族の楽しそうな声を聞きながら、小さな胸に深く刻まれたメッセージがありました。
「悪い子は愛されない」
この瞬間から「愛されるためには良い子でなければ」という思いが、私の心の奥深くに根付いていったのです。
この思いは、私自身も気づかないうちに「心の癖」として、その後の人生の土台となっていきました。
「誰も助けてくれない」~関係性の中で感じた深い孤独感
共働きの両親に育てられ、夕暮れに母親を見送る度に「自分は見捨てられた」という深い孤独感に襲われていました。
幼稚園に転入した時の遠足では、友達のいない私は一人だけグループに入れてもらえませんでした。
隠れるように一人でお弁当を食べた時の寂しさと「こんな自分が恥ずかしい」という気持ち。
それ以来、班分けの度に「また仲間外れになるかもしれない」という不安が常につきまとうようになりました。
小学校でのいじめは、今でも鮮明に覚えています。
クラスメートが輪になって私をからかい、はやし立てる中で感じた「誰も助けてくれない」という絶望感。
暑い夏の日の帰り道、一人うつむいて流した涙と「私は一人だ」という孤独感、なぜか全身を槍でつつかれたようなひどい痛みが心と体に深く刻まれました。
「周りの感情が痛いほど伝わってくる」 ~理解されない苦しみ

物心ついた頃から、私は人一倍敏感な子供でした。
当時はそれが何なのかわからないまま、今になってHSP (Highly Sensitive Person)というものが自分にも当てはまることに驚きました。
周りの人の感情、言葉の裏側にある本当の気持ち、空気の微妙な変化
これらが肌に直接触れるように感じられてしまうのです。
人の何気ない一言が、本当にナイフで刺されたような痛みとして体に響いてきました。
そのことを相談しても、当時は「被害妄想が過ぎる」と言われ、そのたびに体も心も引き裂かれるような痛みを感じていました。
誰にも理解されない孤独感がさらに深まっていきました。
社会に出てからは得にひどく、周りの言葉や雰囲気が、まるで石を投げられたかのような痛みとなって体に響いてきました。
明るすぎる光、強すぎる香り、突然のサイレン、人々の争い・・・
これらの刺激に圧倒され、いつも一人になれる場所を求めていました。
「私って周りと違うのかな?」~自分の居場所がない
20代後半になっても、この違和感は消えませんでした。
「誰にも分かってもらえない」「私って、やっぱり周りと違うのかな」
「人とうまく関われない私はダメな人間なのかも」
みんなが楽しそうにしていても、何が楽しいのかまったく理解できない。
同じ楽しさについていけない苦しさ。
同年代やみんなが夢中になる話題に一生懸命合わせようとしても、心の底から楽しめない自分がいました。
道を歩いていても、まるで夢の中にいるような現実感のなさ。
この世界に自分だけが本当には存在していないような感覚を抱えていました。
「もう生きていたくない」「ここじゃない、どこか遠くへ行きたい」
そんな思いが頭の中をぐるぐると回り続ける毎日。
この苦しみから抜け出したくて、様々な心理療法を学び、答えを求めて世界へ旅にも出ました。
しかし答えは見つからず、かえって心も体も敏感になり、生きづらさは増すばかりでした。
生活の為、派遣社員として掛け持ちで企業で働いていましたが、
人間関係に疲れ果て、帰宅すると玄関で力尽きて倒れ込んでしまう日々。
「普通の会社員として働くことは、私には無理かもしれない」
「これから先、どうやって生きていけばいいんだろう」という不安で胸がいっぱいでした。
「誰かのために生きて、自分を見失う日々」~心身の疲弊

ある日、人間関係で辛い出来事があった帰り道、「このままじゃダメだ!」という思いが突然湧き上がりました。
そして決意したのです。
「もう何も感じないようにしよう」と・・・
それからは自分の繊細な部分を意識的に封印し、できるだけ気にしないようにして生きました。
施術家として独立し、一見順調に見えましたが、実は常に自分を後回しにして、クライアントやスタッフを優先する生き方をしていたのです。
本当は何を感じ、何を望んでいるのか?
そんなことは考えないよう、無意識に目を背けながら・・・
誰かの笑顔のために自分を犠牲にし「大丈夫?」と聞かれる度に「大丈夫です」と反射的に答える毎日。
その裏で、心と体は悲鳴を上げ続けていたことに気づきませんでした。
「信頼していた人からの裏切り」~人生の挫折とターニングポイント

そして40代後半、人生最大の危機が訪れました。
店舗の立ち退き問題から始まった様々な困難。
経済的な損失は大きかったものの、なんとか乗り越えられると信じていました。
ただ、心を預けて信頼していたスタッフが、背任行為をしていたと知ったその時、「私の心は完全に折れました」
なんとなく違和感は感じていました・・・
そして表面上はニコニコしながらも裏でそんなことをされていたと分かった時の衝撃は、大きなハンマーで打ち倒されたような痛みでした。
それは単なるビジネス上の問題ではなく、私という存在そのものを否定されたような苦しみでした。
半年近く寝込み、体はボロボロでした。
朝目を開けることさえ苦痛でした。
「これで人生は終わった」と思える程で、この時、すべてを手放す決意をしました。
長年情熱を注いできた治療院、サロンを手放すことは、心に穴が開くような感覚でした。
何十年も探求し築き上げてきた支援者、施術家の世界からの撤退、「これまでやってきたことは全て無駄だった?」
それは、人生のひとつのステージが幕を閉じる瞬間でした。
まるで多くの人が経験する”燃え尽き症候群”のような状態だったのかもしれません。
それから少しして・・・久しぶりに尊敬する、懐かしい友人と再会しました。
その友人からふと、「生きていて楽しい!幸せだなと感じる瞬間は?」と聞かれ、私は言葉を失いました。
その時はじめて、自分の人生に「喜び」や「幸せ」という感覚が完全に抜け落ちていたことに気づいたのです。
50代「ようやく見つけた答え」~ 生きづらさからの解放~

この気づきは、小さいながらも暗闇の中での最初の光だったのかもしれません。
「もう好きなように、自分らしく生きよう」「本当にやりたいことだけやろう!」
半分あきらめにも近い、そんな穏やかな気持ちで過ごしていた時、
「エビデンスに基づいた心の仕組み」認知科学との運命的な出会いがありました。
40年以上悩み続けた「生きづらさ」の原因が「科学的な視点」で理解できたのです。
「今まで自分が悪いと考えていたけれど、人間の脳がそういう働き方をするんだ!」
この気づきは、長年自分をしばる鎖から解き放たれたような解放感をもたらしました。
・HSPとしての感受性の強さ
・アダルトチルドレンとしての行動パターン
・共依存的な関係性への傾向
これらの問題の根本にある、「心の癖」に対する具体的な対処法が分かったことで、
「不安や未解決の感情を手放し」「行動を妨げるこころのブレーキを解除」することができました。
そして相手の問題と自分の問題との間にしっかりとした境界線がひけるようになったとき、
「私は私」という確かな自己を取り戻す体験をしました。
それからは、自分の中に眠っていた自分らしく生きる力と、日常の中での喜びと幸せを感じながら、望む未来に向かってどんどん進んでいます。
あなたへのメッセージ ~「共に歩む未来へ」

「ようやく出会えた、もっと早くに知りたかった!」でも、この経験をしてきたからこそ、同じように悩む方々の気持ちに寄り添えると確信しています。
心理セラピスト・メンタルコーチ/杏(アンジュ)
現在は、10年以上の傾聴ボランティアの経験と(施術家としては30年以上)認知科学を取り入れたコーチングや心理技術を活かして、人間関係の悩み、自己否定や孤独感、「生きづらさ」を抱える方々のサポートを行っています。
「エビデンスに基づいた心の仕組み」を理解することで、あなた本来の輝きを取り戻し、あなたらしい人生の第一歩を一緒に踏み出しませんか?
誰もが「自分自身の価値」を認め才能を存分に発揮できる幸せな社会の実現を目指して

【近年の主な活動】
・震災時における「メンタルケア」「傾聴」講座
・スポーツチーム支援 大学陸上競技部「メンタルサポート」
・某大手書店にて「親子向けコミュニケーションWS」
・未来志向「フィードフォワード」の普及活動
・その他 絵本、カードゲームなどの制作・普及活動
